その1 美学校に入ったきっかけは?
2011年11月某日 美学校にて、生徒による座談会が開かれました。
美学校生徒の生の声を、お聞きください!
雨田芳明 2010年度10月期「アートのレシピ」修了
宮嵜浩 2011年度10月期より「天才ハイスクール!!!!」「アートのレシピ」「生涯ドローイングセミナー」受講
太田悠 2009、10年度「絵画表現研究室」修了(「絵画表現研究室」は、2012年度は休講となります。)
2011年度より「生涯ドローイングセミナー」受講
雨田 僕は大阪芸術大学にいた時はアート志向で、アートゼミにいたんですけど、大学を出てからはずっとカメラマンをやっていました。広告やマスコミといった業界でどっぷりやってきたんですが、何を思ったのか、美学校に。きっかけは何だろう。仕事が減って暇になったことですかね。不景気だし、この業界で働いている人はみんな厳しい。
それで暇になって何をするかなと考えた時に、たまたま美学校のことを知り合いから聞いて、「アートのレシピ」のオリエンテーションに行ってみた。そこで講師の松蔭さんと話をしたら、同い年でしかも僕と同じ大阪芸大写真学科出身だったんです。けどお互いに全然覚えていなくて。僕は一年浪人をして、彼はストレートで入ったんで一回生上だったんですけど絶対にかぶってる。そういえばヴェネツィア・ビエンナーレに行ったりアート活動をして目立っていた人がいたなという程度で、実際に会って話をするまで知らなかった。これは面白いぞ絶対来いよなと松蔭さんが言ってくれて、それで入りました。だから同じ年齢の人に教えを乞うというかたちで入って、逆に彼は彼で同じ年齢の人に教えなければいけないということで、すごく面白い関係が成り立っていて、とても楽しかったですね。
宮嵜 僕は美学校に入る前は小学校の先生をしていたんです。小学校には平和教育というのがあって、僕のところは広島の原爆ドームに行くんですけど、うまく伝えられなかったんです。基本的には戦争は駄目だよねということを言うんですけど、言葉では言えてもどう伝えたらいいのかはわからない。そんな時にChim↑Pomが原爆ドームの上空に飛行機雲で「ピカッ」と描いたことを知ったんです。これは面白いなと思ったんですよ。面白いというか、戦争は駄目だよねという、そうではない方向からアプローチしている感じに惹かれたんです。それでChim↑Pomを調べたら、震災直後に岡本太郎の「明日の神話」に福島第一原発の絵を付け足すということをやっていて、こいつらはヤバいな、一回会いたいなと思い美学校に見学しに行ったんです。
けれどもその時はChim↑Pomの「天才ハイスクール!!!!」は見学できなくて、「アートのレシピ」を見学しました。その時のエピソードなんですが、前に僕が電車の中で隣の人の膝の下に100円玉を落とした時になかなか拾えなくて、その時の気持ちをどうしたら作品にできますかねって聞いてみたんです。そうしたら、吊り広告に僕の100円玉知りませんかとか載せてみるとかそういう話ができて。何でもない話なんですけど。そういうところを真剣に受け取ってくれるというところで、こんな場所があるんだと思って、入った感じですね。
太田 私は高校卒業後、大学進学を考えていて浪人している時に、予備校で内海信彦という先生に出会ったんです。その時に、周りのみんなが大学行くから自分も行こうと無意識に考えていたということが、その人によって気付かされた。なぜ大学に行くんだろうなと改めて考えていた時に美学校という場所を紹介されて、内海さんの授業を見学させてもらったんです。今まで絵を見ても表面的な面白さだけを見ていて、昔の絵はつまらないなと思っていたんですが、社会的な背景とか、今までの歴史や技術の蓄積だとか、そういう絵の背景を教えてもらって、今までのアートの見方がガラッと変わっちゃった。それで美学校でもうちょっと絵やアートの深いところを見たいなと思ったんです。その後結局大学進学はやめて、一年浪人した後そのまま美学校に来たという感じです。
美学校では二年間内海信彦さんの元で絵画の勉強をしました。その二年間は絵の表現的な部分ではなくて中身的な部分を見てたけど、今度は絵自体の方を見たいなって、絵から社会が見えないかなって思って藤川代表に相談したらじゃあOJUNさんのクラスがいいんじゃないかって。「絵から社会を見る人だからそういう見方をしたいんだったらOJUNさんのクラスに行ったらいいんじゃないか」って。それで今OJUNさんの「生涯ドローイングセミナー」というクラスに通っています。美学校に入って今年三年目です。


